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序章 東京が嫌で、アメリカへ行った

1996年、同級生がみんな東京へ行くのが嫌でアメリカの大学を選んだ。新潟の高校生が遠回りして、いま海外で働くまでの序章。

公開 2026-08-28更新 2026-09-03読了 約3分種別 回想(当時の話)

序章では、その全体をざっと話す。細かい場面は、次回から書いていく。留学は思ったとおりにはいかなかった。でも、思った以上のものをくれた。

1996年9月、アメリカへ発った

私が日本を発ったのは1996年9月。行き先はアメリカ・ワシントン州の大学だった。 そこで3年半を過ごした。学費と生活費は親に出してもらった。これは最初に書いておく。 親がいなければ、この話は始まっていない。

動機は、英語でもキャリアでもなかった。東京が気に入らなかったのだ。

当時の日本は今よりさらに東京一極集中で、高校の同級生は卒業するとみんな東京へ出ていった。 それが嫌だった。地方に生まれた人間が、地方にいるままでは何者にもなれないかのような空気。 それに乗るくらいなら、まったく別の場所へ行こうと思った。

アメリカの「地方」には誇りがあった

アメリカで暮らして驚いたのは、地方が地方のままで誇りを持っていたことだ。

大きくない街に、街の名前を背負った大学があり、大学スポーツに街全体が熱狂する。 プロスポーツのチームが、ニューヨークやロサンゼルスではない街にも根を張っている。 地方の街が、大都市の下位互換ではなく、それぞれの特色で立っていた。

そして、その仕組みの根幹には非営利団体(NPO)があると知った。 大学も、地域のスポーツも、文化も、寄付と非営利の仕組みが支えている。

私はここで進路を決めた。日本に帰って、これをやろう。故郷の新潟のために。 18歳で東京が嫌だっただけの人間に、やりたいことができた瞬間だった。

一度目の分かれ道

2000年頃、卒業して帰国するとき、実はもう一つの選択肢を迷っていた。 このまま海外へ出るか。行き先として考えていたのは、ベトナムだった。

私は日本を選んだ。この選択を覚えておいてほしい。あとでもう一度出てくる。

帰国して、海外に多くの支社を持つ国際的な会社に入った。仕事はあった。食えてもいた。 だが、アメリカで決めたこと——地域のために何かをやる——が、頭から消えなかった。

だから辞めた。地域のための既存の団体に入り、経験を積んで、その後、自分で団体を立ち上げた。 留学で見つけた目標に、まっすぐ向かっていた。

遠回り

正直に書く。その団体では、食っていけなくなった。

アメリカで学んだ仕組みを新潟に持ち帰るという計画は、やってみることはできたが、 経済的に成立しなかった。安定した会社を自分から辞めて、しばらくは「何をやっているんだ」と 自分に言う時期が続いた。

ここだけ読むと失敗談に見える。でも、この話はここで終わらない。

17年後、あの分かれ道に戻る

いま私はベトナムに住んで10年目になる。日系企業の管理職として働いている。

ベトナム。2000年頃、卒業したての私が迷って、選ばなかったあの道だ。 およそ17年たって、私はあのときの分かれ道まで戻り、もう一方を歩き出した。

留学が私に残したのは、英語でも学位でもなかった。 「外に出る」という選択肢だった。 選ばなかった道は、消えていなかった。17年間、そこで待っていた。 そして、それを選び直す力は、20代の3年半に日本の外で暮らした経験からきている。

これから留学を考える人へ

私の体験から言えることは3つある。ただし、これは1996年に渡米した一人の話だ。 あなたの留学は、あなたのものになる。

  1. 留学の目的は、たぶん変わる。それでいい。 私は「新潟のため」に行って「ベトナムで働く人」になった。 目的が変わっても残るものがある——言語、異文化で暮らした事実、日本の外の相場観、 そして「外に出られる」という自分への信頼だ。
  2. 遠回りに見える時期がきても、選択肢は消えない。 私の場合それは10年以上続いた。 それでも留学がくれた道は、ちゃんと待っていた。
  3. 費用を誰が出すかは、最初に正直に決めよう。 私は親に出してもらった。 その事実は、遠回りの時期に自分をどう評価するかに影響した。だからこそ、 出してくれた人には、時間がかかっても何かを返せばいい。私はまだ返している途中だ。

なお、いまの留学費用や制度は私の時代とはまったく違う。 この記事は体験談であり、現在の費用・ビザ・学校選びの情報は別の記事で、確認日付きで書く。


第1回: 「NZは練習が週2日らしい」——留学のきっかけは、練習をサボりたかったことだった

HK
筆者: 加藤寛明

1996年、新潟の高校からアメリカへ。米国の大学でジャーナリズムを専攻し卒業。帰国後は日本で働いたのち、ベトナムで就職。2016年からベトナム在住、日系企業の管理職。留学の手配や学校の紹介はしていません。プロフィールと編集方針