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第2回 お山の大将になりたくなかった。いや、なりたかった

アメリカの大学の日本校で過ごした1年弱。授業は全部英語で楽しかった。それでも1年でやめてアメリカへ行くと決めた理由は、きれいなものではなかった。

公開 2026-09-04読了 約2分種別 回想(当時の話)

新潟にあった、アメリカの大学の日本校に入った。 在籍したのは1年弱。6月くらいに入学して、4月か5月には離れている。

先に書いておくと、楽しかった。

the 明るい学校

授業は全部英語だった。それが楽しかった。

the 明るい学校、という感じだった。 まだ留学していないのに、留学ってなんて楽しいんだ、アメリカってなんて楽しいんだ、と思った。

いま思えば理由がある。ELSの先生たちは、そういうトレーニングを受けている。 コミュニケーションが優しく、英語も聞き取りやすい。 英語が分からない学生を相手にするプロが、そこにいた。

このことの意味は、後で嫌というほど分かることになる。

ものたりなかった

楽しかったが、ものたりなかった。

先輩たちを見ると、すでに2年や3年、ここで学んでいる。 アメリカへは、最後の2年くらい行くだけだ。

私は勉強だけでなく、経験もしたかった。4年間みっちり過ごしたかった。

……と書くと立派に聞こえるが、本当のところはそれだけではない。

嫉妬

正直に書く。

明るく楽しい学校生活だったが、同期の女性たちの多くは先輩たちに憧れていた。 非モテの私にチャンスはなかった。

同時に、嫉妬や不快感を持った。

アメリカに行かずに、こんなところでお山の大将(実際、山の上にあった)を気取っている先輩たちみたいになりたくなかった。

いや、なりたかった。

後輩が入ってくれば、なれる可能性もあった。 でも非モテなので、なれない可能性も大きい。 それに寮住まいだし、先輩たちのようにアパートに出れば金銭的な負担は増える。 何より、学費が高い。

嫉妬と、劣等感と、金。私が日本校を出た理由は、そういうものだった。

480点で入れる学校を探す

いつからかは忘れたが、1年で学校をやめてアメリカに行く決心をした。

TOEFLに挑戦した。 そして高校時代から持っていた大学カタログを引っ張り出して、条件で絞った。

学費が安く、当時のTOEFLで480点程度でも入れる学校。

(当時のTOEFLは今と点数の体系が違う。数字そのものは現在の基準と比較できない。)

夢や理想ではなく、払える金額と、届く点数で選んだ。

そこから郵便や電話でカタログを請求した。

インターネットがなかった

当時はインターネットがない。やりとりは郵便と電話だけだった。

海の向こうの学校に手紙を出して、返事を待つ。 資料が届くまで何週間もかかる。

電話が必要なときは、自分ではかけられなかった。 当時親友だった、38歳のアランという本好きの留学生に、学校へ電話してもらった。

いま留学を調べている人は、たぶん数分で十数校を比較できる。 私が持っていたのは、紙のカタログと、電話をかけてくれる友人だけだった。


こうして行き先が決まった。 学費が安くて、TOEFLの点が足りて、カタログに載っていた学校。

ワシントン州にある、Big Bend Community College という学校だった。

いま振り返ると、私は街のことを何も調べていなかった。


この記事は筆者の記憶に基づく個人的な回想です。1990年代半ばの出来事であり、 当時のTOEFLのスコア体系・入学要件・情報収集の手段は現在とまったく異なります。

HK
筆者: 加藤寛明

1996年、新潟の高校からアメリカへ。米国の大学でジャーナリズムを専攻し卒業。帰国後は日本で働いたのち、ベトナムで就職。2016年からベトナム在住、日系企業の管理職。留学の手配や学校の紹介はしていません。プロフィールと編集方針