1996年。ついに出発の時が来た。
新入生への入寮のスケジュールのようなものは届いていた。 ただ、「いついつ来い」という案内はなかった。
電話してみたが、私の英語力ではだめだった。
成田まで着けるのか
新潟すら一人で出たことがなかった。
だから、まず成田に着くまでが大冒険だった。 迷路のように思える東京駅で成田エクスプレスを探して、 飛行機に乗り遅れるのが心配だった。
成田空港でのことは、緊張しすぎて何も覚えていない。
海外に行く話をする前に、私は国内で既に限界だった。
盃のようなカップ
記憶があるのは、シアトルの空港に着いてからだ。
コーヒーのスタンドのようなものがあった。 エスプレッソ以外、知らないものばかりだった。
エスプレッソは、ラジオ英会話で見て言葉だけは知っていた。 美味しそうなイメージを持っていた。
出てきたのは、盃のようなカップに、少量のコーヒー。
**「???」**と思った。
飲んでみると激苦で、飲めなかった。
私が想像していたアメリカと、実物のアメリカの最初の差が、このコーヒー一杯だった。 知っていたつもりだった。眺めていたつもりだった。飲めなかった。
コーラだけを買った
タコベルにも入った気がする。
あのときは何の店か分かっていなかった。 タコスを食べている人と同じものが欲しかった。
でも、店員に伝わらなかった。
結局、コーラだけを注文した。
シアトルの空港には地下鉄があると聞いていて、すごいと思っていた。 乗ることはなかった。
「あのバスにのりなさい」
シアトルから、Moses Lake という街まで乗り継がなければならなかった。
どこに行ったらいいのか分からない。
うろうろしていると、日本人っぽいおばさんの空港スタッフが声をかけてきた。
「あなた、どこに行くの?」
Moses Lake 行きのチケットを見せると、こう言われた。
「あのバスにのりなさい」
よく分からないまま、バスに乗ってターミナルに着いた。
いま思えば、あの人がいなかったらどうなっていたのか分からない。 名前も聞かなかった。
バスに羽がついたような
Moses Lake 行きのはずだった。 だが表示は、なぜか Walla Walla・Moses Lake となっていた。 これでいいのか、分からなかった。
出てきた飛行機は、バスに羽がついたような、小さくて古いプロペラ機だった。
Moses Lake って、どんなところだろう。
急に不安になった。
そして、そのとき初めて気づいた。
そういえば、学校のカタログには街の写真が一枚もなかった。
この記事は筆者の記憶に基づく個人的な回想です。1996年当時の出来事であり、 空港の設備・路線・手続きは現在と異なります。