プロペラ機に乗る前、外を見渡した。
アメリカ特有の、直立した木々が見える。杉のような木だ。
ああ、憧れだったアメリカに着いた。
飛行機の窓から下を見ると、芝生の野球場やフットボールのグラウンドがあちこちに見える。 そしてその周りを木々が覆っている。
私が想像していたアメリカが、そこにあった。
木が消えていく
数十分飛ぶと、だんだん木がなくなり、砂漠のようになってきた。
完全な砂漠ではない。枯れた草のような木が、西部劇で転がってくるような風景。
まわりには何もない。
そして、完全に何もなくなったときに、小さな街が見えた。
ドラクエで1コマで描かれた街のようだった。
そして、そこを飛行機が旋回しはじめた。
まて、ここ?
まて、ここ?
超失敗したと思った。
憧れだった、木々に囲まれた生活はどこに?
容赦なく、飛行機は下降をはじめて、空港に着いた。
前の回で、カタログに街の写真が一枚もなかったことに気づいたと書いた。 なかった理由が、着いて分かった。
ド田舎の無人駅
ターミナルに直結しているのではない。 アメリカ映画でよく見る階段で降りて、歩いて空港の建物に行く。
荷物はカートに入っていたので、自分の手で引っ張り出して持っていった。
その空港の建物は、普通の人が空港だと思い描くようなものではない。 あえて言えば、ド田舎にある無人の駅だ。
迎えは来ていなかった
日本校をやめて自分でアメリカに行った人たちは、大学の人が迎えに来てくれたと言っていた。
私には、そんな案内はなかった。
バスやタクシーはあるだろう。空港なのだから。 そう思った。
タクシーは一台も停まっていなかった。バス停も見つけられなかった。
「あっちだ」
空港から、だんだん人がいなくなっていく。
スタッフの手が空いたタイミングを見て、聞いた。
「すみません。Big Bend Community College はどう行くんですか?」
「あっちだ」
そう言って、指をさした。
歩きはじめた
私は歩きはじめた。
歩いていけるものなのか、分からなかった。 それ以外に選択肢がないように思えた。
普通、空港といったら街から何キロも離れている。
でも、歩くしかなかった。
新潟の書店でカタログを眺めていた高校生が、 物理で2点を取って、日本校で1年過ごして、 成田で緊張して記憶をなくして、シアトルでコーヒーを飲めなくて、
スーツケースを引いて、砂漠の空港から歩き出した。
ここからが、私の留学だった。
(続く)
この記事は筆者の記憶に基づく個人的な回想です。1996年当時の出来事であり、 現在の同地・同校の状況とは異なります。